更新日:2020年9月28日

ここから本文です。

山形ものがたり YAMAGATA'S STORY

山形ものがたり YAMAGATA'S STORY

いいれきし山形の歴史文化編

サムライゆかりのシルク

Samurai Silk

幕末の激動、近代化への歩み、庄内藩の覚悟と団結。
国への貢献と起死回生のため、シルクに全身全霊をかけたサムライたちの歴史。

史跡松ヶ岡開墾場

鶴岡市を中心として、養蚕から製糸・織物・精練・染色・縫製まで一貫して行える国内唯一の地域が、山形県庄内地方です。弥生時代にはすでに日本へ伝わっていた絹ですが、鶴岡で生産が始まったのはそれから幾重もの時代を経た幕末、戊辰戦争の結末に由来します。

幕府の統制力が弱まり、薩摩藩や長州藩が倒幕、新政府樹立に向けた動きを見せる中、庄内藩は幕府側の重役を担います。同じく薩長と対立していた会津藩とともに、朝敵とみなされた庄内藩。2藩の赦(ゆる)しを新政府へ嘆願していた奥羽25藩に越後6藩が加わった奥羽越列藩同盟とともに、新政府軍との全面戦争に発展しましたが、列藩同盟の諸藩はつぎつぎに降伏、連勝を重ねていた庄内藩もついに恭順を決断します。

戦の後、賊軍の汚名を着せられた藩士たちは、これを覆す策を粘り強く論じ合い、当時一番の輸出品目となっていた絹の生産を通して国に貢献することを決意します。庄内藩士たちは、藩校致道館で論語や徂徠学(そらいがく)を習い、孔子の教えを実際に生かすことを重んじていました。これが、刀を鍬に持ち替え、初めての事業に挑んでいく決心の土台となったのかもしれません。


開墾風景(松ヶ岡記念館所蔵)

 

旧中老の菅実秀は、庄内藩に対する寛大な処分が西郷隆盛の計らいだったことを知り、絹の生産を手掛ける考えを相談すると、西郷もこれに賛同。旧藩士たちの開墾事業が始まりました。

農政に力を入れ、農民との結束が強かった庄内藩が、農民から土地を取り上げることなく開墾地として選んだのは、月山の麓に連なる原野、後田山。明治5年から、約3,000人が決死の開墾にあたりました。激励に訪れた旧藩主・酒井忠発が「松ヶ岡」と書いた木札を立てたことで、後田山は松ヶ岡と呼ばれるように。合わせて311ヘクタールに及ぶ荒野を拓き、明治10年までのたった5年間で大蚕室10棟を完成させました。

途中、西郷から送られた「氣節凌霜天地知」(困難も、それを凌ぐ志があれば、天地の神が知り応えてくれる)のメッセージは旧藩士たちを奮い立たせ、松ヶ岡に根付く精神となりました。名誉を挽回するために団結し、日本最高規模のシルク産業を目指した試行錯誤と奮闘。明治8~9年頃に松ヶ岡を訪れた大久保利通らも驚嘆したほどの大事業は、連綿と続く庄内藩の武士道精神によって成し遂げられたものでした。

その後、豪商・風間家が絹産業に投資。技術者養成を目的とした鶴岡染織学校や鶴岡裁縫学校も設立されます。こうして、松ヶ岡開墾場をきっかけに人・もの・金が集まり、養蚕から縫製までの工程が集約された産業クラスターとして成熟していくことになったのです。


 

第二次世界大戦後、安い海外製や合成繊維の輸入、少なくなる和服需要、養蚕農家の高齢化など、折り重なる打撃にあう国内のシルク産業。それでも、藩校時代の教え合い、学び合いの精神を今も受け継ぐ松ヶ岡はじめ鶴岡の人々は、「自分たちの代で途絶えさせるわけにはいかない」と、技術を今に守り継ぎ、新しい試みを始めています。

その一つが、”kibiso”ブランドです。鶴岡シルク株式会社は、蚕が最初に吐き出す糸「きびそ」に着目。硬い上に太さもバラバラで、生糸として使われることがなかったこの素材をアップデートし、国内の精鋭デザイナーとタッグを組んだブランドをスタートさせました。はじまりの場所、松ヶ岡開墾場のショップを起点に、全国・海外に販路を拡大しています。

また、鶴岡染織学校を前身とする鶴岡工業高校や、鶴岡裁縫学校を前身とする鶴岡中央高校では、生徒たちが独自の研究やドレス制作を展開。保育園児や小学生が蚕を育てる取り組みも行われています。

日本でここにしかない、一貫生産工程。立ちはだかる壁を乗り越えてきたサムライの歴史。学びの姿勢と、次なる事業に果敢に挑んでいく精神。唯一無二の価値を持ったサムライゆかりのシルクが目指す道は、先人の努力と未来への歩みを繋ぎ、山形・鶴岡から世界へ踏み出す新しいシルクロードなのです。

~このストーリーは平成29年度に文化庁「日本遺産」に認定されています~

<取材協力>
松ヶ岡産業株式会社、鶴岡「サムライゆかりのシルク」推進協議会


左上:松岡株式会社の製糸(繰糸)の様子 右上:繭
右下:鶴岡シルク株式会社のkibiso製品 左下:シルクガールズ

 

ひとくちメモ

お蚕さまとサムライ魂を今に残す国指定史跡

鶴岡市にある「松ヶ岡開墾場」は、国指定史跡としての指定を受け、現在にその面影を残しています。当時としても珍しい三階建ての蚕室が五棟現存し、そのうち一棟が松ヶ岡開墾記念館となっています。施設内では、各種企画展示のほか、シルク商品のショッピングなどもお楽しみいただけます。

お問い合わせ
松ヶ岡開墾記念館
〒997-0158 山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡29 電話番号:0235-62-3985

参考サイト

山形ものがたり

  • いいもの山形の産業編

  • いいれきし山形の歴史文化編

  • いいながめ山形の自然編

  • いいじかん山形の祭り編