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更新日:2020年9月28日
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山形ものがたり YAMAGATA'S STORY
いいながめ山形の自然編
Mogami River
山形県を南北、東西に流れる美しい川面。
民を潤し、富をもたらし、時代を超え、四季を彩る母なる大河の物語。
夕暮れの最上川
県南の吾妻連峰に端を発する最上川は、流域面積で山形県面積の76%、流域には県人口の8割を超える人々が暮らしています。昔から人々の生活に深く関わり、1県だけを流れる川として日本一の大河である最上川を、私たち山形県民は「母なる川」と呼び、愛着をもってきました。
最上川は、5つの盆地と5つの狭さく部が交互に連なる流域からなります。5盆地、5狭さく部とは、米沢盆地~伊佐沢峡谷~長井盆地~五百川峡谷~山形(村山)盆地~碁点峡~尾花沢盆地~実栗屋峡~新庄盆地~最上峡を指し、そして最後は庄内平野を流れ、日本海へと注ぎます。したがって、全長229kmのうち、約200kmは盆地と狭さく部が目まぐるしく変化する地形と景観を見せます。そして、下流域の庄内平野を流れるのは29kmに過ぎません。このことが日本三大急流の一つに数えられる要因になっています。
最上川全域をボートで下るとき、「下る」とはいえ、狭さく部ではまさに山に向かっていると感じるほどです。この地形的な特徴こそが、山形県の歴史、文化、産業、芸術など、あらゆる面に大きな影響をもたらしました。
最上川(戸沢村)
山形県は大きく置賜、村山、最上、庄内の4つの生活圏に区分けできますが、それぞれの境界には、最上川舟運時代の難所であった狭さく部が含まれます。そして、各地方に特徴的な方言や文化が育まれ、特有の風土が醸成されていきました。
また、古今和歌集の中で「最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」と歌われた平安時代から、最上川は物流・交通の大動脈として利用され、やがて4つの生活圏を繋ぐようになり、基幹産業を支えました。
江戸時代には、紅花をはじめ県全域のさまざまな特産物が、舟運によって酒田湊を経由して京、大坂などへ運ばれ、帰り船で持ち帰った雅な上方文化が、今も各地に息づいています。
最上川は、流域に90万を超える人口を抱えながらも、全域でサケやアユが生息するほどの水質を保ち、豊かな河川環境をもたらしています。
それは、多くの支流が汚れを希釈することに加え、狭さく部では流れが急で泡立つことで酸素が補給され、汚れを吸収分解してくれる水生生物や微生物の働きが活発になり浄化が進むためといわれます。つまり、人間が多く活動する盆地の汚れが狭さく部で軽減されるのです。
ヤナ場(白鷹町)
また、盆地と狭さく部の繰り返しは、四季折々の変化に富んだ美しい景観をつくり出し、多くの文人、芸術家を惹きつけました。
江戸時代の俳聖松尾芭蕉、後に芭蕉の足跡を訪ねた正岡子規、歌人斎藤茂吉、絵画では小松均、真下慶治などが最上川を題材とした作品を数多く残しています。
春
濁りを知らない雪解け水をたっぷりと集め、ブルーに澄んだ川面と山々の新緑、岸辺のいたるところに咲く桜のコントラスト。
夏
周囲の緑は色濃さを増し、青空の下で舟下り、釣り、水遊びと、人と川がより近しい季節。
秋
五百川峡谷、碁点峡、最上峡などの峡谷美に鮮やかな紅葉が彩りを添え、最上川の恵みを受けた稲穂が田園地帯を黄金色に覆う。
そして、冬
春夏秋の色飾りを脱いだ最上川は、降り積もった深雪が周辺の喧騒を吸い込み、静まりかえった流れが水墨画のよう。
1,000年を超える人と川の歴史。四季を通じて多くの恵みをもたらす流れ。母なる川・最上川は、山そのものを神として崇拝する出羽三山信仰とも結びつき、山の水、すなわち神の水を集め、今日も神々しさを湛えています。
冬景色の最上川
最上川舟運始発の港まち、長井
長井市は、最上川の最上流にある水の駅。米沢藩の物資を舟に積み込み、最上川を下り、酒田を通り、上方(京、大坂)へ運ぶための始発の船着場でした。舟運で栄えた商家や蔵が今も大切に保存されており、街並みに当時の面影を偲ぶことができます。
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