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更新日:2023年4月6日
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平成30年度に日本遺産に認定された「山寺が支えた紅花文化」について、この度、構成市町、構成文化財が追加されました!
日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の概要についてはこちらをご覧ください。
「山寺が支えた紅花文化」の日本遺産認定について(県ホームページ)
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「山寺が支えた紅花文化」公式サイト(外部サイトへリンク)(外部のページにリンクします)
大石田町、白鷹町
高価な商品作物であった紅花(紅餅)は、厚紙などで作った「花袋」に入れられ、さらにゴザなどで包み出荷された。往時、白鷹町深山地区で作られた和紙は地元産の紅花の花袋として使用された。その製作技術は今も当地に引き継がれている。
江戸時代、紅花交易などで最上川舟運最大の河岸として賑わった様子を伝えるもの。護岸築堤がなされ、多くの物資が往来できるように最上川の流れに沿って東西に貫いて大通りが設けられ、整備された町並みの様子がわかる。
紅花は川の難所を避けて生産地から大石田までは陸送され、大石田河岸から舟積みされて上方へと送られた。最上川から店棚を通って表通りまで通じる路地「ろうず」が残る家屋などから往時の河岸の様子をうかがい知ることができる。
江戸時代、紅花商人(豪商)として活躍した(山)長谷川家が贅を尽くして収集した上方由来の文物。現在、山形美術館で公開され、往時の紅花交易の隆盛を今に伝える貴重なコレクションである。
<修正前>
~略~
「紅餅」に加工してから最上川舟運と西回り航路(北前船)を介して上方へと運ばれました。
~略~
<修正後>
~略~
「紅餅」に加工されます。地元産の和紙などに大切に包まれた紅餅は川の難所を避けて陸送され、やがて大石田河岸で舟積みされて最上川舟運と西回り航路(北前船)を介して上方へと運ばれました。
~略~
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「山寺が支えた紅花文化」の日本遺産認定について(県ホームページ)
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