ホーム > 産業・しごと > 産業振興 > 三島通庸が残した土木遺産 > 片洞門
更新日:2021年1月29日
ここから本文です。
『片洞門』は、置賜地方と新潟県を結ぶ小国新道の桜川渓谷に位置する。この渓谷は、かつては猿獣さえも容易に通れない断崖絶壁の谷間であった。旧十三峠も避けていた険しいルートであったが、初代県令三島通庸は断固としてこの渓谷の開削に挑戦した。
この小国新道の開通は、小国はもちろん置賜地方と新潟県との交通・文化の進歩に大きな貢献をもたらすことになった。
片洞門は、小国町から東に10.5キロメートルの位置にあり、旧綱取橋を中心に上下流200メートルにわたって断崖絶壁の岸壁を開削して道路を通したもので、半分が洞門(トンネル)のようになっていることから片洞門と呼ばれている。
置賜地方と新潟県を結ぶ古くからの街道は越後街道と呼ばれ、1521年(大永元)の開通と云われている。この街道は、朝日山系と飯豊山系の鞍部を行くために、宇津峠(標高491メートル)や大里峠(標高487メートル)など、13もの険しい峠(十三峠)を経由しており、川沿いの山道では馬車による通行は不可能であった。また、歩行にも難儀を要し、特に冬季は豪雪のため通行が出来なかった。
この問題を解消するために、初代県令三島通庸は小国新道の開設を計画し、工事が1881年(明治14)10月に着工され、1886年(明治19)秋に完成した。片洞門は、1883年(明治16)の竣功であった。
大正12年、新潟県から初めて貨物自動車が入った時は、片洞門は頭上に覆い被さる状態で天上がつかえるようであった。そのため、片洞門は切り広げられて改修され、バスやトラックの通行が可能になった。その後、1959年(昭和34)に国道113号線の綱取橋と子子見トンネルが供用になり、片洞門は廃道となった。
(桜川渓谷における片洞門は、子子見片洞門と綱取片洞門がある。本ページの写真は子子見片洞門。)
山形県西置賜郡小国町大字綱木箱の口字子子見
問合せ先:0238-62-2416(小国町観光協会)
(片洞門は、現在は廃道で立ち入り禁止である。)
お問い合わせ