更新日:2023年9月25日
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管内は、尾花沢市と大石田町の1市1町を管轄し、山形県の東北東に位置しています。東は御所山を中心とした奥羽山脈、西は月山等の出羽丘陵に囲まれた村山盆地の北部に位置し、管内のほぼ中央には本県の大動脈である「国道13号」「JR奥羽本線」及び「最上川」が南北に縦断しています。
冬は最上川に沿って吹き込んでくる強い季節風の影響により、県内屈指の豪雪地帯となっており、平野地においても例年2メートルを超える積雪を記録します。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。…」で知られる「おくのほそ道」は、元禄2年(1689年)芭蕉46歳の春から秋にかけて行われた奥羽・北陸地方への日数150日、旅程600里に及ぶ旅の記です。
この旅の途中、芭蕉は、門人曾良を伴い、5月17日(陽暦7月3日)尾花沢に入りました。旧知の友人で、俳人でもある豪商鈴木清風を訪ねてきたもので、芭蕉一行は心温まる歓待を受け、この地で10泊もしています。
心地よくくつろぐ様は、名句「涼しさをわが宿にしてねまるなり」にも表われており、市内には7泊逗留した養泉寺など、芭蕉の足跡が点在しています。
芭蕉清風歴史資料館
明治15年(1882年)、山形県上山市に生まれた歌人齋藤茂吉は、昭和21年1月から翌年11月までの間、大石田町に住みました。この時詠んだ歌の数々は第16番目の歌集「白き山」に収録されています。「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」はその代表的なものです。当時茂吉が起居した住まいは茂吉が庭内の木立を鳴きわたる小鳥の声に因み、自ら「聴禽書屋(ちょうきんしょおく)」と命名したものですが、今でも見学することができ、茂吉がそこに居るような錯覚を覚えます。