更新日:2022年4月25日

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松ヶ岡開墾場

松ヶ岡開墾場、1番蚕室の写真

刀を鍬にかえ月山山麓の大原始林に挑んだ旧庄内藩士たちの開墾の魂
松ヶ岡開墾場内松ヶ岡開墾記念館

『松ヶ岡開墾場』は明治維新直後の廃藩置県の折、旧藩家老菅実秀が旧藩士の先行きを考え、養蚕によって日本の近代化を進め、庄内の再建を行うべく開墾を行ったものである。

沿革

松ヶ岡開墾場は、1872年(明治5年)に旧庄内藩士3,000人によって開墾され、明治7年には311ヘクタールに及ぶ桑園が完成し、明治8~10年には大蚕室10棟が建設された。その後鶴岡に製糸工場と絹織物工場が創設された。

現況

1989年(平成元年)国の史跡に指定され、大蚕室5棟、藤島より移築された本陣(開墾創業時に松ヶ岡本陣とした)、新徴屋敷(庄内藩江戸取締の際その配下となった浪士組織新徴組のために藩が建てた100棟の住宅のうち30棟を松ヶ岡に移築し、開墾士の住宅とした)などが保存されている。また蚕室は開墾記念館、ギャラリー、侍カフェ、くらふと松ヶ岡、庄内農具館などに利用され、庄内映画村資料館も併設されている。

松ヶ岡本陣(松ヶ岡開墾場)の写真(JPG:88KB)
松ヶ岡本陣(松ヶ岡開墾場)
新徴屋敷(松ヶ岡開墾場)の写真(JPG:95KB)
新徴屋敷(松ヶ岡開墾場)

第一蚕室(開墾記念館)

松ヶ岡開墾場の蚕室を建築した棟梁は、当時の名匠高橋兼吉ら2名で、養蚕業の先進地であった上州島村田島家の蚕室を模して建造したといわれている。
大きな柱、大きな梁をもつ和風構造形式の建築で、桁行21間(37.8m)、梁間5間(9m)。2階の腰窓には和風建築独特の無双窓をつけ、また2階建ての上に通風換気のための越屋根をとりつけた、通風のバランスを考えた構造である。屋根には同8年にとりこわされた鶴岡城の瓦が使われている。

第一蚕室の写真1(JPG:63KB)

瓦と通風換気のための越屋根

第一蚕室の写真2(JPG:66KB)

2階の無双窓

第一蚕室の写真3(JPG:83KB)

採光のための障子

第一蚕室の写真4(JPG:80KB)

2階、田中コレクション

第一蚕室の写真5(JPG:92KB)

1階、養蚕の資料展示

第一蚕室の写真6(JPG:76KB)

1階、明治の開墾資料

年表

年号   事項
1868年(明治元) 戊辰戦争終わる。庄内藩降伏謝罪。
1869年(明治2) 庄内藩を大泉藩と改称。
1871年(明治4) 廃藩置県。
1872年(明治5) 4月、鶴岡の東郊赤川の河原地を旧藩士360名で開墾を試みる。
8月、3000人を29組に編成、月山山麓の後田山の開墾に着手。
10月、106ヘクタールの開墾を完了。
旧藩主酒井忠篤公、開墾藩士を激励。木札に「松ヶ岡」と揮毫、経塚丘上に立てる。これが開墾場の名称となる。
1873年(明治6) 予定地の残り、高寺山、馬渡山、漆原山、黒川山の204ヘクタールを100余日で開墾。
1874年(明治7) 初年以来、開墾畑地311ヘクタール、桑苗植付551,600本、茶種播付5,400リットル。
1875年(明治8) 蚕室4棟落成。5月初めて蚕種を飼育し、その繭より蚕種800枚を製し横浜に出荷し好評を得る。また生糸を製し地方に販売する。
開墾士家族の移住が始まる。
1876年(明治9) 蚕室4棟を増築、本格的な製糸及び真綿の生産が始まる。
1877年(明治10) 蚕室2棟を増築、蚕は10棟全部で飼育。茶製場1棟も新築。
1881年(明治14) 1月、開墾士一同「松岡社誓約書」を作成調印。総員458名。
1884年(明治17) 8月、大暴風により蚕室2棟倒壊。
前年鶴岡朝暘学校焼失のため、8番蚕室を校舎に寄付。
1887年(明治20) 5月、鶴岡の現新海町に製糸工場を創設、松岡製糸所と称する。
1899年(明治32) 開墾士家族30戸の開墾場移住が終わる。
1901年(明治34) 松岡社誓約書を改正、「松ヶ岡開墾同士者誓約書」とし作成調印。総員149名。
1947年(昭和22) 昭和天皇行幸。
1948年(昭和23) 5月、松ヶ岡農業協同組合設立。
1964年(昭和39) 朝日新聞社より「第一回朝日農業賞」を受賞。
1983年(昭和58) 10月、松ヶ岡開墾記念館開設。

遺産データ

松ヶ岡開墾場の写真997-0158 山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡29
問合せ先:0235-62-3985

  • 名称:松ヶ岡開墾場内 松ヶ岡開墾記念館
  • 竣工年:1875年(明治8)
  • 所有者:公益財団法人 致道博物館
  • 設計者:高橋兼吉
  • 施工者:高橋兼吉
  • 構造:瓦葺、上州島村式の三階建蚕室
  • 指定:国指定史跡

コラム 養蚕について

埋薪(まいしん)「清涼育と温暖育」

埋薪とは、床下の炉に生木を敷き詰めて上からあくをかけ、その上に炭火を置いて暖房とするもので、生木が徐々に燃えることによって長時間の暖房効果が得られるものである。松ヶ岡の蚕室では、これらの埋薪により養蚕サイクルである一蚕期を、燃料補充なしの床暖房ができた。
養蚕では、暖房を使用しないで自然の温度で蚕を飼育する方法を清涼育と言う。明治15年頃から、埋薪などの床下暖房によって温度や湿度の管理を行い、蚕を飼育する温暖育が導入された。
松ヶ岡では、高めの温度が必要な一齢から三齢までは埋薪を利用した温暖育を行い、その後に清涼育に変え飼育期間を短縮した。

1階床の埋薪の写真(JPG:78KB)

1階床の埋薪

2階床の炉の写真(JPG:75KB)

2階床の炉

1階の天井に見える2階の炉の写真(JPG:47KB)

1階の天井に見える2階の炉

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