更新日:2021年1月29日
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明治政府の殖産興業政策により、日本経済は近代的な産業経済に生まれ変わっていく。俸禄を失った士族は荒地の開墾に勤しみ、納税は年貢(物納)から地租税(金納)に変わって米の物流倉庫も近代化された。これらの経済発展に寄与した産業施設も、山形県の近代化産業遺産として残されている。
『松ヶ岡開墾場』は明治維新直後の廃藩置県の折、旧藩家老菅実秀が旧藩士の先行きを考え、養蚕によって日本の近代化を進め、庄内の再建を行うべく開墾を行ったものである。旧庄内藩士3,000人によって開墾された荒地は、明治7年には311ヘクタールに及ぶ桑園が完成、明治8~10年には大蚕室10棟が建設された。その後鶴岡に製糸工場と絹織物工場が創設された。
『山居倉庫』は、米の積み下ろしで雨風に当たらない構造や、倉庫内の工夫を凝らした空調管理、入庫米の厳しい選別審査などで、中央市場でも日本一と評される「山居米」を生み出した。現在の近代的な倉庫の保管機能と比較しても、決して遜色の無い山居倉庫は、庄内米の改良と声価向上を果たし、農村経済の振興に貢献した。
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