更新日:2020年12月11日
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庄内柿は、甘みたっぷりで風味もよく、庄内の秋を彩る味覚の一つです。
庄内柿は、庄内地域でとれる柿のブランド名で、代表的な品種は「平核無(ひらたねなし)」という四角い種無し柿です。「平核無」は渋柿のため、炭酸ガスやアルコールなどでの渋抜き作業を経て食用になります。
庄内柿の収穫は、10 月上旬から始まり10 月中旬~下旬が最盛期で、生産者は、専用のカラーチャートで色づきを確認しながらベストのタイミングで丁寧に収穫します
樹全体にまんべんなく陽が当たるように管理された柿は、秋の気温の低下とともに色づき、甘味が増していきます。
庄内柿は10月中旬~11月下旬頃、干し柿は11月~3月頃に、庄内地域内の農産物直売所やスーパー等で販売されています。
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名称:カキノキ
分類:カキノキ科カキノキ属
原産地:中国、朝鮮半島、日本
主産地:和歌山県、奈良県、福岡県
収穫期:9月~12月
柿は東アジア特有の果樹と言われ、日本では「古事記」や「日本書紀」に柿が出てくることから8世紀ごろには栽培されていたと推測されます。
「柿は、ビタミンCやカロテン、カリウムなど、栄養が豊富です。風邪や生活習慣病、がんの予防、美肌や二日酔いにも効果があるとされ、『柿が赤くなると医者が青くなる』ということわざがあるほど。」(農林水産省 情報誌「aff(あふ)」2018年10月号より)
柿の種類は、大きくは甘柿と渋柿の2 種類に分類できます。「渋」の原因となっているのは、柿に含まれるタンニンです。渋柿に含まれるタンニンは水溶性で、口の中で溶けるため渋みを感じますが、甘柿は成長する過程でタンニンが水溶性から不溶性へと変化するため渋みを感じません。渋柿は炭酸ガスやアルコールなどの脱渋処理を経て、おいしく食べることができます。
庄内柿のはじまりは諸説ありますが、明治18 年、鶴岡市の鈴木重光が新潟の行商人から苗木を購入して育てたところ、その中に1本だけ種の無い不思議な柿を発見したことがきっかけだといわれています。
この苗を、果物の栽培研究をしていた庄内藩家老の子息、酒井調良(ちょうりょう)が譲り受け、渋抜き方法や販路など様々な問題を解決しました。酒井調良は庄内柿の普及に尽力したことから「庄内柿の父」と呼ばれています。
鶴岡公園(鶴岡市)の荘内神社参道脇には、酒井調良の胸像があります。冬になると、像を守るために“ 雪よけの頭巾” が被せられます。
大正14 年の秋、当時の皇太子殿下が庄内地域においでになることを知った酒井調良氏は、西田川郡袖浦村果実共同出荷組合の代表として柿2箱を献上しました。
このとき初めて「庄内柿」の名前が使われ、以後、庄内柿という名前が全国的に知られるようになりました。
<1> 渋味を甘みに変えるひと手間
庄内柿はもともと渋柿ですが、炭酸ガスやアルコールを使い渋抜きをします。渋を抜いた後の柿は、とろけるような甘さと柔らかさが魅力です。
<2> 栽培に適した風土と気候
月山からの雪融け水やミネラル豊富な土壌、そして昼夜の寒暖の差が大きいため、夜、気温がぐっと下がると柿自身が旨味を蓄え、美味しさが増します。
<3> 丁寧な選別
収穫後、生産者がカラーチャートを使ってひとつずつ色づきを確認してから出荷しています。
柿は追熟して甘くなるものではなく、常温におくと2日ほどですぐ柔らかくなってしまいます。ポリ袋に入れて野菜室で冷蔵します。熟しすぎた時は冷凍すればシャーベットのような食感が楽しめます。また、干し柿は常温や冷凍で保存します。
庄内で生産された柿の7割は北海道で消費されています。このきっかけを生み出したのも「庄内柿の父」酒井調良です。庄内柿が熟す頃、首都圏ではすでに他県の柿が出回っており、価格がどうしても安くなってしまいます。そこで酒井調良は柿の育たない北海道に目をつけ、札幌の知人に宛てて庄内柿を送りました。この時、長時間の輸送でも品質が低下しなかったことで、北海道への柿の出荷が次第に増えていきました。
干し柿は、平安時代の文献にも記されているほど歴史があり、製造方法によって、ころ柿とあんぽ柿があります。
庄内では近年、あんぽ柿の生産にも力を入れており、新たな商品として、首都圏向けにも販売されています。
渋抜きをした庄内柿は、たねがないため調理しやすく、鮮やかな色あいや甘さを活かした料理の材料としても楽しめます。
野菜やきのこと和えてマリネやサラダにしたり、柿を使ったデザートもおすすめです。
柿ときのこのマリネ
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