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更新日:2022年9月1日
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『山形市立第一小学校旧校舎』は、昭和初期に竣工された鉄筋コンクリート造りの校舎で、当時のわが国の最先端技術により建設された貴重な建築物である。
また、現在でも小学校(現校舎)に隣接し、「やまがたクリエイティブシティセンターQ1」としてテナントやシェアオフィス、紅花文庫、文化財展示室など市民に広く利用されている。
1887年(明治20)4月1日、山形市内の既存の3校が統合されて「横町尋常小学校」が誕生した。散在していた仮校舎での生活を経て、2年後の10月1日に「山形市中部高等尋常小学校」と改称し、同年12月に新校舎が落成した。1893年(明治26)6月1日に、新しい学校令実施に伴い「山形市第一区尋常高等小学校」と改称した。
生徒数は、1900年(明治33)には1,101名を数え、その後の山形市内の人口増加に伴い1,330名にまで達した。さらに1908年(明治41)に高等小学校が新設され、「山形市立第一尋常小学校」と校名が改称されたが、校舎は狭隘で、換気や採光などに問題があり早期の改善が求められていた。
この頃、山形市内には南部(八日町-現二小)、中部(横町-現一小)、北部(宮町-現三小)の三つの小学校があったが、3年後(明治44)には第四尋常小学校の新設で600余名の児童が、また1923年(大正12)には第五尋常小学校が新設され、さらに700余名の児童が移動されている。
新設を重ねた小学校であったが、恒久的な校舎への改築の要望が強く、1926年(大正15)に山形県で初めて鉄筋コンクリート造3階建ての校舎が竣工され、翌年の昭和2年7月に完成した。同年9月に「全国産業博覧会」が山形市内3会場で開催されたが、第一尋常小学校は小学校として使われる前に、その主会場として使用され、他の会場に伍して中心的な役割を担った。40日の会期で入場者は1,356,600人に上り、この新校舎の威容を見ることがあったと云われている。
傷みの進んだ校舎は、山形市教育委員会と東京大学大学院建築史研究室による調査の結果、建築史的価値が高く評価され、2001年(平成13)に国の登録有形文化財として登録された。
その後、歴史的価値を有する文化財とともに、中心市街地活性化施設として活用すべきとの結論となり、2010年(平成22)に修理工事が完了し「山形まなび館」として活用された。
2022年(令和4)には、リノベーションを経て、創造都市やまがたの拠点施設「やまがたクリエイティブシティセンターQ1」がオープンした。
山形市立第一小学校旧校舎は、山形県内初の鉄筋コンクリート構造の校舎で、3階建(一部は4階建)であり地下階が付いている。この校舎は、国内でも当時の鉄筋コンクリート建築技術の最先端を示すものである。
設備にも、教室の電気ストーブ、校舎屋上の電気時計、国産鋼を使用したスチールサッシやスチールドアの建具など、当時の最先端の技術が導入されている。デザインも玄関ポーチの半円アーチ開口窓の意匠や、門柱、柵などにドイツ表現主義、アール・デコ等の当時の最新デザインをとり入れている。
設計は山形の設計事務所としては最古参の秦・伊藤建築事務所が担当し、秦鷲雄と伊藤高蔵が中心的役割を果たしている。また山形出身の佐野利器はわが国のコンクリート造りの先駆者として知られているが、佐野と秦は縁戚関係にあり、この校舎の設計にも大きく関わっている。
990-0043 山形市本町1丁目5-19
問合せ先:023-615-8099
やまがたクリエイティブシティセンターQ1(外部サイトへリンク)
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